自由に致す力を持って居るはずじゃ。
 何せわしは御事が毎日毎日神をお説《と》きやってわしの息をひきとるまでお説やっても心はかわらぬのじゃ。
 許すとは申さぬじゃ。
 根くらべを致いて居るも、そうあきの来るほど長い事ではござらぬじゃ。
 お互に千年とは生きられぬ事じゃほどにのう、土面の中で、うつろになった眼《まなこ》を見はって機嫌のよい娘の様に明けても暮れても歯をむき出いた口で云いあいながら根くらべを致す事はござらぬじゃろうからのう。
 またたってお事が許いて欲しくば偉うお事をお守りなされる神に願うて不死の薬なりいただいてわしの十代あとの皇帝に許いておもらいなされ。
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王は静かに立ち上って音もなく供人にかこまれて中央の扉のかげに消える、舞台には法王の群一つになる。
間もなく下手の扉をあけて小姓が一人手に書きものを握って入って来る。
法王に渡すと一目見て口に氷の様な冷笑をうかべる。
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法  斯う御返事なされ、
 有難う頂戴致す。
 したがわしは幼いうちから礼儀をきつう育てられたのでの、これに御答え致すためには王に一言申したいのじゃが、口で申さぬかわり、相当な御返礼と思うてこれをさしあげるとな。
 又御目にかかる日もそう大して遠くはあるまいと思って居る、
 と足して申したとな、おつたえなされ。
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法王は落ついた手つきで外套の下から巻いたものを出して小姓にわたす。
小姓はそれをうけとると一足急にさがって、
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小姓 法王様!
 これは破門の宣告状でございます、
 陛下に――
 お間違いだろうと存じます。
法王 盲にも、目くされにもなって居らんでの。
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小姓はすくんだ様に下を向いてそこに立つ。
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法  馬の用意をいたいて呉れ。
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法王の供人一人下手から去る。
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法  若い人何もその様におどろかぬとも良いのじゃ、王はわしに廃位の宣告状をお送りなされた御礼じゃもの。
 ちとかるすぎるかも知れぬが、わしは貧しゅうてそれ丈のものほかもって居らなんだ。
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法王の群はしずかに動いて上手の戸口から入ってしまう。
舞台には小姓一人のこって、法王の出て行った方をしばらく見つめて、
やがて深い溜息をついてから反対の戸口――下手からひきずる様な足つきをして退く。
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[#地から1字上げ]幕

    第二幕

     第一場(前幕より三ヵ月後冬も十二月に近い頃の事)(A.D. 千七十七年頃)

    場所
  ヘンリー四世の城内 王の居間。

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景 そんなに広くない構えで四方に海老茶色の布を下げてある。
左右には二つ並べて大きく先王と王妃の像を画いた額がかかってその下に火が燃してある。
今のストーブとまでには発達しないごく雑な彫刻のある石板で四方をかこんだ窪い所に太い木の株を行儀よくかさねてある、その木と木の間から赤い焔が立ちのぼる。
反対の側には槍や剣。甲冑が厳めしく行列して居る。
中央には卓子が有って王の手まわりのものをのせる。
中心からかなりずれた所に燃える火をはすにうける様にして一つ長い腰掛があって上から長く重くて厚そうな毛皮をかけてある。
窓の小さいのが三つ位開いて単純な長方形のガラス越に寒そうな青白い月光の枯れ果てた果樹園を照らしてはるかに城壁が真黒に見える。
長椅子からよっぽどはなれた所に青銅製の思い切って背の高いそして棒の様な台の上に杯の様な油皿のついた燈火を置いて魚油を用うるので細い燈心から立つ黄色い焔の消えそうなほどチラチラする事が多くうすい油烟が絶えず立つ。すべてよっぽど更けた夜の様子。
幕が上ると王と守役を勤めた老人が長椅子に一緒に腰かけて居る。
王は冠をつけず寝間着の様な袖口の極くゆるい、長から下まで一つづきの深緑の着付。
手に沢山指環をはめる。少し疲れたらしい眼色とわだかまりのある眉の様子。
老人、もう九十以上の年で髪も眉も皆白くてつやつやしいおだやかな様子で真白な毛のついた足一っぱいの上着をつけて首から小さい銀の十字架をつるす。
王の親の様な心持で只やたらに可愛と云う気持。
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王  月があまり美くしいので都娘にフト出会った百姓娘の様にいろいろなものは皆黙って居るわ。
老  ほんに静かでござりますのう。
 私がまだねんねえで世間知らず
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