るHさんは、猫に先生である自分を観察させた作家漱石の自己への客観的態度の又の表現であろう。これだけ手のこんだ構成のなかで、漱石は偽りでかためられている家庭として自分の家庭を感じ、妻直の掴み得ないスピリットを掴もうとして憔悴する一郎の悲劇を追究しているのである。
兄の妻とならなかった頃からの直を二郎が知っているという偶然が、一郎の苦悶を一層色どって、「二郎、何故肝心な夫の名を世間が忘れてパオロとフランチェスカだけ覚えているのか。その訳を知ってるか」とも口走らせる。
二郎がその問いを不快に感じる心、あなたが善良な夫になれば、嫂さんだって善良な妻ですよ、という態度にも一郎は弟のその常識性の故に激しく反撥する。直という女は、何処からどう押しても押しようのない女、丸で暖簾《のれん》のように抵抗《たわい》ないかと思うと、突然変なところへ強い力を見せる性格として描かれている。おとなしいともうけとれるし、冷淡ともうけとれる。そういう日常の姿態の女として描かれている。妻とのせっぱつまった苦しい感情、父、弟からの人間として遠い感情、この一郎の暗澹とした前途をHさんは「一撃に所知を亡《うしな》う」香厳の
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