も絶頂的に扱われた小説と思える。この作品が、漱石の作家としての生涯の特に孤立感の痛切であった時代のものであるという小宮豊隆氏の解説も肯ける。漱石は一郎という不幸な主人公を自分が鋭敏なだけに、自分のこうと思った針金のように際どい線の上を渡って生活の歩みを進めてゆく人間として提出した。自分がそうである代り、相手も同じ際どい針金の上を、踏み外さずに進んで来てくれなければ我慢しない人間。同じ甲にしても甲のその形、その色合いが、ぴたりと思う壺に嵌らなければ承知出来ない人。そしてそれは一郎の我儘というよりは、美的にも智的にも倫理的にも彼が到達しているところまで来ていない社会に対する嫌厭として、彼の身魂を削り、はたの者の常識に不安を与える結果となっている。漱石はこの小説で自己というものを苛酷な三面鏡のうちに照り出そうとした。一郎、二郎、Hさん。漱石の内部には一郎が厳然と日常生活の端ッこまで眼を閃かせ感覚を研いで君臨していたとともに、二郎の面も性格の現実としてはっきり在ったと思える。一郎は或る瞬間には二郎をおっちょこちょいとして罵倒する。そのような一郎の姿、二郎の在りよう、それを客観的に観察し、解明す
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