漱石の「行人」について
宮本百合子
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)暖簾《のれん》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地付き]〔一九四〇年六月〕
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「吾輩は猫である」が明治三十八年に書かれてから、「明暗」が未完成のままのこされた大正五年まで、十二年ほどの間に漱石の文学的活動は横溢した。円熟した内面生活の全幅がこの期間に披瀝されたと思う。同時に、作品のどれもが、人生と芸術とに向う態度、テーマなどの点で一定の成熟の段階にとどまっていて、局面の変化としてあらわれる扱いかたの多様さや突っこみかたがそれぞれの相貌を示しつつ本質の飛躍はなかったということも、今日の私たちには興味ふかく考えられる。「明暗」は十二年間のあらゆる意味でのどんづまりであったと感じられる。四十歳を越して作家生活に入った漱石の豊富さと限界とは極めて複雑微妙な矛盾をも包含して輝きわたったのだと思う。
「行人」は、近代における自我の問題として人間交渉の姿に敏感・執拗・潔癖であったこの作家の苦悩に真正面からとり組んだ作品であるばかりでなく、両性の相剋の苦しみの面を
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