った女がみかん畑の日雇い婆さんで暮している晩年に、ふとあったかい人生の道づれを見出す「三夜待ち」、それぞれの題にふくらみと生活性がこもっているとおり、すべてこれらの物語は、読者のこころにふれ、人生は生きるに価するところである思いを与える。だが、壺井栄さんは、ただたくまないたくみさで、あれからこれへと人生風景を語っているのではない。「女がこんな風なのは一体どこが悪く、何がそうさせるのだろうか」(「暦」第一一章)壺井栄さんの全作品を貫いて、この疑問がつよく、くりかえして提出されているのである。女がこんな風なのは、という言葉とその意味とは、社会がこんな風なのは、の同義語としてあらわされてもいる。(「赤いステッキ」及びここに入っていない「廊下」など)
一九四五年八月からあと、日本の社会生活には女がこんな風なのは、つまり社会がこんな風なのは一体どこがわるくて、何がそうさせるのだろう、という作者と読者に共通な課題を解決して行こうとして、働く人民の政党・労働組合・文化団体などができた。壺井栄さんのこの時代の作品の多くは、人民が自分たちの生存を発揮してゆくために必要ないろいろの組織をもてなかった時代
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