通、各候補者名別に、投票が行われる。こういう方法で、工場委員会の監督の下に、公の候補人名表の、最初の草案が作られる。この草案は更に、工場内の各種の部門の、別々の集会の前に持ち出されるが、これらの集会は、それに修正を加えることができる。その最後の形において、草案は工場委員会から、全工場労働者の総会に持ち出されるところの、精選されたものとなる。」(H・N・ブレールスフォード著、ソヴェト・ロシアの政治機構)
 こうして選ばれた企業からのソヴェト代議員は、前頁の図のような系統で全同盟的機構に到達して行くのである。
 (二) ソヴェト権力は、あらゆる階級社会の国家組織の中で一番国際的である。憲法第二条は云う「ロシア・ソヴェト共和国は自由なる民族の自由なる結合を基礎とし、民族的ソヴェト共和国連邦として之を組織す」ソヴェト権力は、あらゆる民族的圧迫を絶滅するものである。帝国主義日本は、台湾、朝鮮、満州等の諸民族を抑圧し、搾取している。だがソヴェト同盟では、ツァーの抑圧の下に喘いでいた諸民族は、民族個有の言語を復活し、教育・新聞も自由語が用いられ、また共和国に高等学校が建ち、内容においては社会主義的な、形式においては民族的な文化が発展しつつある。
 (三) ソヴェト権力は、プロレタリアート前衛の指導によって、容易に最も広汎な勤労大衆を国家の管理、社会主義の建設に参加さす。プロレタリアートの前衛たる共産党は労働組合によっては生産線に沿って、ソヴェトによって国家機関の線に沿って幾百千万の大衆と結びついている。指導はどのように行われているか。同志スターリンは曾て、一九二七年、アメリカ労働代表者との会談で「共産党は政府を統制していると云うことが出来るか」という問に答えて次のように云った。
「ソヴェト連邦の労働者党、即ちソヴェト連邦の共産党による政府の指導という事実は何処に現われているか?」
「それは先ず第一に、共産党がソヴェト及びソヴェト大会によって自党の候補者、常にプロレタリアートの為に忠実に奉仕しようとしているところの、自党の最も優秀なプロレタリアートの事業に献身せる職員を、国家の最も重要な地位に就かしめようと務める点に現われている。そして党は此事を大抵の場合に成就している。何故ならば、労働者及び農民は党を信頼しているからである。我が国に於ける権力機関の指導者が共産党員であること、そして之等の指導者が国内において強大な権威を有していることは決して偶然なことではない。
 第二に、党が行政諸機関の活動や諸官庁の活動を検閲し、犯された欠点や誤謬を除去し、これらの機関が政府の命令を遂行するのを援助し、又之に大衆の支持の保証を与える為に努力し且つ同時にこれらの諸機関は党の指示なしには何等の重要な決議もなし得ないという点に現われている。
 第三に、各官庁が、工業及び農業、商業或は文化的施設の方面に関して活動計画を立案する場合には、党は、これらの計画の施行期間中におけるこれら諸機関の活動の性質及び傾向を規定するところの一般的方針を与える、という点に現われている。
 通常、ブルジョア新聞は、国務に対する党のかかる『干渉』に対して『驚異』を示している。だがかかる『驚異』は全く虚偽である。資本主義諸国に於いてブルジョア諸政党が正に此の如く国務に『干渉』し且つ政府を指導し、而も此場合この指導権は、いろいろの方法で大銀行と結合しているところの、従って又その役割を民衆の目から隠蔽しようとしているところの人々の小集団の手に集中されているということは周知のことである。イギリス或はその他の資本主義諸国における一切のブルジョア政党の中には自己の手に指導権を集中している人々の小集団によって形成された秘密の内閣が存在している事を知らない者があろうか?」
 プロレタリアート独裁の国家にあって、共産党はかくの如き方法で広汎なる大衆と結合し、それを指導しているのだ。
 世界資本主義国の間に流行するソヴェト同盟に関するデマゴギーの種類は雑多であり、それらのデマゴギーは常にブルジョア世界観の卑劣さ、自信のない利己主義を曝露している。ソヴェト同盟におけるこのプロレタリアート独裁の問題も革命当時から最も多くの塵埃をぶつけられた問題であった。ブルジョア共は、階級としてのプロレタリアートの独裁を歪めて、いつもレーニンの独裁であるとか、スターリンの独裁であるとか云った。最も嗤《わら》うべき例として、ソヴェト同盟は国家保安部《ゲー・ペー・ウー》の独裁であるというものさえある。
 日本においても、これらのデマはブルジョア・地主的天皇制[#「天皇制」に×傍点]の政府によって、盛んに撒き散らされている。しかし、プロレタリアートはプロレタリアートの独裁[#「独裁」に×傍点]が資本主義から共産[#「共産」に×傍点]主義社会へ進む唯一の途であることを公然とあらゆる場合に示している。そしてソヴェト同盟の広汎な労働者・農民大衆が、ソヴェトを通じての共産党による指導を支持していることは、既に革命後十五年の歴史が之を示している。
 ところが日本帝国主義のブルジョア・地主的天皇制[#「天皇制」に×傍点]独裁は、議会や政党や、普通選挙等の道具をならべて、いかにもすべての人民が支配に参加し得るかのような幻想を撒き散らして残虐な抑圧搾取をほしいままにしているのだ。
 それは国家の礎と称せられる日本憲法を一目見ただけで充分認めずにはおれぬ事実である。憲法第十一条にはこう明記されている。「第十一条、大日本帝国は万世一系の天皇之を統治す」「第三条、天皇は国の元首にして統治権を総攬し、此憲法の条規に依り之を行う」
 或は、日本には帝国議会というものが存在しているから絶対的君主制[#「君主制」に×傍点]ではない、立憲君主制体であると云うものがあるかも知れぬ。然し、議会は如何なる権力によって絶対的[#「絶対的」に傍点]に支配されているか。これも憲法が明示している。「第七条、天皇は帝国議会を招集し、其開会、閉会及び衆議院の解散を命ず」更に進んで「第十一条、天皇は陸海軍を統御す」「第十三条、天皇は戦を宣し和を媾[#「媾」はママ]じ及諸般の条約を締結す」「第十四条、天皇は戒厳を宣告す」という諸条項を読んでも我等は「立憲」が全く似而非[#「似而非」に傍点]立憲政体であることを知ることが出来る。しかも、天皇の周囲には「諮問」「輔弼《ほひつ》」の名にかくされた独裁[#「独裁」に×傍点]支配の最も野蛮な遂行機関として、元老、内大臣、枢密院があり、特に封建的・軍事的支配のためには、天皇[#「天皇」に×傍点]を中心として専門の元帥府、軍事参院、参謀本部、海軍司令部等がある。中国侵略戦争開始以来、二人の皇族[#「皇族」に×傍点]が夫々参謀長、軍令部長に任ぜられている。
 日本の軍事的天皇制[#「天皇制」に×傍点]支配こそ、高度に発達した独占資本を持つ日本帝国主義の侵略性を代表するものであることを示している。無限の権力を握るのは、強制徴兵令による(所謂ブルジョア一等国で強制徴兵令を採用しているところは、只日本・フランス・イタリーのみである!)約二十九万人の常備軍(武力)と、私有財産制を守るために張りめぐらされた警察力とを以て、勤労大衆を抑圧し、半封建的、半殖民地的搾取をつづけつつある一握りの少数者によって「搾取のためにつくられた強制のための特別の機構」こそ、絶対主義的、軍事的、警察的天皇制[#「天皇制」に×傍点]の帝国主義日本国家である。かくの如き日本ブルジョア国家が憲法を持ち、議会を持つというのも結果においては、勤労大衆に向っての卑劣な欺瞞として役立つに過ぎない。それは、天皇制[#「天皇制」に×傍点]支配が日本[#「日本」に×傍点]の資本家、地主独裁の野蛮な形態であるという現実を覆い、伝統的な神秘化によって、さも天皇[#「天皇」に×傍点]は本来、一種不可侵の道徳的優越性、絶対的尊厳を賦与されて綿々とつづくところの「神人」による支配であるかの如き迷信を、被搾取大衆に与える。憲法の保証する「集会の自由、言論の自由」「結社の自由」「出版の自由」がどんなものであるかということは、勤労大衆の眼を持ったすべての人は知っている筈である。集会で一言、半句も云わさない解散、検束、拘留は常例だ。家族的な集会にすら、警察の犬は襲撃している。
 このような天皇制[#「天皇制」に×傍点]支配の本質の胡麻化しによって、支配階級の絶対主義的支配は円滑にされるばかりである。プロレタリアート・農民を搾取のもとに繋ぎとめようとして、支配階級の行う絶対主義強化の努力は、小学校の国語読本、歴史教科書類から、在郷軍人団、青年団、女子青年団等の反動組織をまで網羅している。忠君愛国主義が教化政策の根底におかれている。
 同じくブルジョア・地主的天皇制[#「天皇制」に×傍点]の糊塗のために行われるものに普通選挙がある。然し、一度でもその資格調査をうけたプロレタリアート・農民は、それが決して大衆の声を反映させるために行われる普通選挙でないことを自覚するであろう。選挙権は満二十五歳以上、一ヵ年以上同一の場所に居住した男子(女子は全然除外)に限られている。実に複雑な制限が労農大衆の革命的代表を阻止する目的でつくられてある。(我々は兵役の義務は十七歳以上から課せられていることを忘れてはならぬ)被選挙権の制限は一層広汎で男子、満三十歳以上、而も立候補のために二千円の保証金を供托しなければならず、得票がその選挙区定員数を以て有効投票数を割った数の十分の一に足りない時は、二千円をそのまま没収するという規則がある。しかも、共産党の被告、共産党支持者は、警察的抑圧によって立候補の権利すら剥奪されている。社会ファシストは天皇制[#「天皇制」に×傍点]の正体を蔽うこの偽瞞的議会のおこぼれをたたえ、労農大衆に議会による救済、議会の勝利による労農大衆の勝利等の幻想をふりまいている。が、野蛮極まりないブルジョア・地主的天皇制[#「天皇制」に×傍点]支配の機関の一つであることを絶対見逃してはならない。
 三・一五、四・一六の日本共産党の同志に死刑・無期懲役、その他合せて、一千二百年以上という人類史上、未曾有の求刑を下しているのもブルジョア・地主的天皇制[#「天皇制」に×傍点]支配である。裁判所には皇室[#「皇室」に×傍点]の紋章[#「紋章」に×傍点]が勿体らしくほり込まれ、役人共は天皇[#「天皇」に×傍点]の「委任」によって、労働者・農民を抑圧するのである。既に三千人余の共産主義者を牢獄にたたき込んだ治安維持法は、天皇[#「天皇」に×傍点]の安全と利益を守ることを最大の目的とした悪法である。
 このように、日本の天皇制[#「天皇制」に×傍点]支配は、立法権も行政権も司法権も軍事権もすべて一手に治めている。このブルジョア・地主的天皇制[#「天皇制」に×傍点]国家の支配は、あらゆる人民大衆を、全く政治的無権利の状態においている。日本ほど警察権力が横暴を極め、又一方無自覚な人民大衆が、警察に対して、恐悸を持っていることは世界に稀だ。既に、幾多の革命的闘士が日本警察・監獄・憲兵の鬼畜の如き暴力によって、虐殺[#「殺」に×傍点]され、不具にされた。日本のブルジョア・地主はこの天皇[#「天皇」に×傍点]を最も強い背景として、労働者・農民の搾取・抑圧に耽っている。
 実に日本におけるブルジョア・地主的独裁の武器としての天皇制[#「天皇制」に×傍点]支配は、西欧のどこのファシズムよりも、ひどく野蛮な抑圧をしているのだ。
 以上触れてきた問題のみでなく、我々の目に触れ、耳に聞く日常の一切の現実は、新テーゼの、次の如き天皇制[#「天皇制」に×傍点]国家機構の解剖が全く正しいことを証明している。
「日本の天皇制[#「天皇制」に×傍点]は、一方では主として地主という寄生的封建的階級に立脚し、他方では又急速に富みつつある強慾なブルジョアジーにも立脚し、これらの階級の棟領と極めて緊密な永続的ブロックを結び、仲々うまく柔軟性をもって両階級の利益を代表し
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