房を売り、木の根を食って生きている始末だ。活動写真館なんかには金を出しての入場者はなく、玉葱や野菜を持って入場料の代りにしている。上北郡十和田村では、昭和六年十一月、七百戸全戸に病人があり、三戸《さんのへ》郡猿辺村では三百戸全戸に二百五十の病人があると帝国農会報は伝えている。が、勿論、殆んど医者になんぞかかることは出来ない。農漁村を通じて欠食児童は、二十万に登っている。
福沢全国町村会長は自ら昨年長野県の農村の家計調査を次の如く発表している。
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┌収入 三二二円
自作農 ┤支出 四七七、八九
└不足 一二五、八七
┌収入 四〇四、八一
自小作農┤支出 四八九、八五
└不足 八五、〇四
┌収入 二五九、二三
小作農 ┤支出 三三六、六三
└不足 七七、四〇
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平均、九十六円十一銭の不足である。重い税金と、五割六割の小作料の収奪はつもりもって、今日の農村の負債を約七十億円にしている。土地飢餓と食糧の不足から、貧農、中農は大衆行動で立ち上ろうとしている。満州侵略戦争は愛国の美名の下に、農村の
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