る。主観的に、いやになったからわかれてやる、という態度が離婚の自由の正しい認識でないとともに、客観的には、離婚した母と子との生活保証がされる法律上の条件が必要であると共に、社会的に保証が実現される可能がなければ、離婚の自由[#「自由」に傍点]ということは欺瞞になる。
 憲法や民法で、婦人の立場が男と平等に積極的に書かれる[#「書かれる」に傍点]ようになったというだけでは、殆んど空文にひとしい。社会の実際の日々に、すべての職場に、男女の働いて生きる人の必要を、社会的に、また法的に保証する方法が具体化されたとき、はじめて民主的というに値する。そういう社会をつくるために、男女が力を合わせて、あらゆる努力をし、あらゆる形でたたかってゆくことを、良心の行為として認めたとき、はじめて、民主が徹底するのである。選挙権というものを、女も、失業者も、大臣も、もっているというばかりが、民主ではない。
 婦人の労働条件の改善、確保と、特に子供たちのための社会保障の真剣な検討なしに、結婚や離婚のことは話せない。――出来るだけ個人の経済負担の少い托児所、幼稚園、子供のための病院、療養所。憲法でいっているとおり、
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