得ない感銘の活々とした歓喜を以て、「助教授Bの幸福」「盧生の夢」等の御作を拝読しますと、私は種々の考えに打たれずにはいられなく成りました。
 忌憚《きたん》なく申せば、芸術品として「霊魂の赤ん坊」に及ぶものではございますまい。然し、これ等の御作は、或る意味から申せば、芸術品として不成功であったという点に、何か重大な意義を持っているとさえ思われるのでございます。若し、私の貧しい洞察が許されるならば、その取材の変化は、貴女が芸術家としての内容を拡大させ、視野を広めて行かれようとする勇ましい努力の暗示であり、失敗は、それに伴わなかった、同じ内的な他の何ものかを暗示しているのではございますまいか。
 自分は臆測に成ることを恐れます。が、「我等の道の為」という、敬虔なフランクネスは御解り下さいますでしょう。
「助教授Bの幸福」の中には、貴女が一個の芸術家として自己を御認めになりながら、一方では、人間的興味、感動による観察、表現よりも、もっと心理的に直接な、本能的潔癖に触れた、というような心持を感じます。或る種の神経質と厳さが浮いて、作者の全人格の流露した芸術品の持つべき、云いようのない朗かさ、透
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