どんな国でも、都会人口よりは、農村人口が多い。利益を求めるものの本能は、数を重要に見る。従って、儲けるための出版業者は、いつも「地方」を対象におき、そこで売れるためには、決して「地方的水準」を高めようとせず、それに媚び、おもねり、面白がられることを商売の上手とした。
「地方巡り」という一つの文化上のタイプは出版から、娯楽から、あらゆる面に存在している。吉本興業のような漫才発明の興行者から、今度除名された講談社まで、彼等の尨大な富は、地方を文化の市場として、地方の低さを餌食にして、築き上げられたのである。
都会の文化と地方の文化とは分裂させられていた。企業家にとって、地方は、文化的殖民地めいた関係におかれた。地方そのものの文化的創造力は高めようとされず、その性格をより充実させ、高貴ならしめようとは援助されず、ただ、欲求だけをもっていて、それと引かえに与えられるいかがわしい一冊の本であった。一晩の観劇に対して、無抵抗に支払うものとしてだけ扱われて来たのである。
ここにも、これまでの日本の封建性と近代資本社会の混合した恐ろしい害悪が現われている。
こういう文化機構であったからこそ、戦
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