府が、地主・軍人の保守性、侵略性をもって出発したことは、明らかな必然である。市民階級が擡頭して作った近代ヨーロッパ社会と全然ちがう半封建の明治がはじまった。
明治の大啓蒙家であった福沢諭吉が、自分の著書にいつも東京平民福沢諭吉と署名したことを知らないものはない。これは彼の気骨を物語っている。その反面に、明治が、その現実において、どんなにまで封建的であり、身分の観念と結びついた官僚主義が横行していたかを語っているのである。
市民社会を土台としてそこから近代化した日本ではなかった、という一つの事実は、明治以来の日本の文化に、重大な関係をもっている。
日本全国の諸企業が独立独歩出来なくて、中央政府の保護を必要としたという一つのことは、同時に日本中の各都市の独自な発展、経済的能力が乏しかったことを証明している。当然、それらの都市での文化も、決して強い独特な隆盛をもち得なかったのであった。
乏しい故の中央集権が、日本各地方の文化にそれぞれ独特な、ゆたかな展開を可能としなかった上に、一層わるいことは、その状態のまま文化面でも出版業のような利潤追求の企業はどんどん成長して行ったことである。
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