のひろびろとした開花をうながすには、暗く寒くありすぎた。
 前田家のような大大名の藩で発達した文化が、能・茶の湯、宗教では禅であるということも意味がある。当時の社会生活から一応は游離して、精神と富との避難所としての文化が辛うじて生きのびた。
 僅に、九州や中国の、徳川からの監視にやや遠い地域の大名たちだけが、密貿易や僅かの海外との交渉で、より新しい生活への刺戟となる文化を摂取した。維新に、薩長が中心となったということは、深い必然があったのである。
 ところで、この明治維新、日本の資本主義国家の誕生は、ヨーロッパの自由都市の市民が、第三階級として自身の経済力にたって近代の社会機構に移って行ったのとは、全く性質を異にする。
 明治政府は市民が下からこしらえた政府ではなかった。日本の社会生産と経済とは、封建のままの土地制度、耕農手段を基礎としていて、一握りの進歩的大名と、革新的下級武士と、外部からのヨーロッパ、アメリカとの力が結合して倒幕運動がおこされ、日本の近代企業、銀行、会社の創立は、すべて、政府の上からの保護を必要とした。大名と武士とが結合して権力を掌握し、近代化そうとした日本の明治政
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