とうとう、先生の振向いてくださるのを待ちかねて、椅子をガタガタ云わせて立ちあがりながら、
「先生!」
と声をかけた。
 丁度その時、後向きのままで白墨《はくぼく》の先を減らしながら、何か別の考えに気を取られていたらしい先生は、少し周章《あわ》てて彼女の方を向いた。
「先生、
 何故、縦と横とをかけると面積が出るんでございましょう。そして、何故厚みが無いんでございますか」
 先生は、自分の耳を疑がうように少し体を前へ傾けながら、不純な表情を浮べて
「え、何ですか」
ときき返した。
 自分の質問が通じなかったと思った彼女は、もう一度同じ言葉を繰返して、立ったまま先生の返事を期待した。が、先生はいつまで立っても口を利かない。
 余り先生が黙っているので、それまでは彼女の質問を可笑しがって、肩をぶつけ合ったり眼配ばせしたりして笑を殺していた者達も、不安な予感に襲われて、教室中は人っ子一人いないような静けさになってしまった。それでも、まだ先生の口は結ばれたままである。何かいやなことがあったのだろう。
 それは確かである。けれども、彼女は自分の言葉のうちに露ほども失礼な文句や心持の無かったこともま
前へ 次へ
全15ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング