れている矛盾が、おのずから、これらの諸文化団体を含む支配的傾向の特殊な一面性を告白しているのである。
伝えきくところでは、長谷川如是閑氏が「新日本文化の会」の会長になるそうである。『日本評論』の匿名リレー評論をよむと、日本の思想界を次の時代にひきいてゆく力量をもった綜合的思想家としては如是閑氏を措いて他にないように云われている。筆者は誰なのかもとより判明していないが、その文章と対比して当の長谷川如是閑氏が、『改造』八月号に執筆していられる「帝国芸術院論」をよんだ読者の胸には必ずや或る感想が湧いたことであろうと思う。
「帝国芸術院論」に於て、長谷川氏は、芸術そのものの理解者としては芸術至上主義的な立場を表明していられる一方、社会的関心の一つとしての芸術的関心は公のもので国家的のものであるとして、両者を分裂においたまま、アカデミーというものも、国民的「性格のよりよき表現を求めんとする社会的意欲の必然」として持たれるものであると極めて簡単、安易に肯定していられる。芸術家の日常生活、創作の内奥に作用する現実としての社会的相剋の問題こそ、現代の芸術問題の根幹をなしているものであるが長谷川氏は前
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