一文の末で「社会的意欲」と支配的意欲との間に、今は世界的な範囲で立ち現れて来ている相異さえ明らかにしていられない。
『セルパン』八月号にも同氏の「文化の自由性と文化統制の原理」という論文がある。そこで氏は文化の自由こそ文化を進めるものであると主張されているのであるが、ここでも氏の判断の中で曖昧のままのこされている上述の一点は作用して、結末に於て、作家たちが「保護」に対して常に懐疑的であるのは尊敬すべきであるが「反対にそうした信念を尊重しつつ彼らの芸術の発展を助長することは、文明国の古代からの伝統でもあったが、現在に於てもその原則は破られない」という、今日の日本の現実に即して観た客観的効果の方面にはふれない抽象論を提出していられるのである。今日の一般人はいろいろと苦しい思いの中で文化への希望を失わず生きようと努力しているのであるから、現実の事象の理解についても、おのずから犀利なるものを求めているのである。[#地付き]〔一九三七年八月〕
底本:「宮本百合子全集 第十一巻」新日本出版社
1980(昭和55)年1月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
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