矛盾の一形態としての諸文化組織
宮本百合子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)所謂《いわゆる》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)決してうまく[#「うまく」に傍点]行って来なかった。
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 佐藤春夫氏の提唱によって、文芸懇話会の解散後「新日本文化の会」が出来た。同時に文部省が五十万円の補助金を出して、文部・外務・民間思想文化連合の統一体として財団法人「中央文化連盟」が結成された。先頃、帝国芸術院が出来て、一般の関心をひいていることは云うまでもないことである。
 明治以来、芸術、特に文学と時々の政府との間は決してうまく[#「うまく」に傍点]行って来なかった。明治四十四年に文部省が「文芸委員会」をこしらえたのは、日露戦争の後、日本の思想界文学界を風靡しはじめた自然主義思想に対して、封建的な習慣や馬琴風の勧善懲悪小説の存在を擁護しようとした結果であった。「文芸委員会」は美術展覧会の裸体画を撤回させ「モリエールの作品が孝行の本義に背くと云って、その全訳を発禁に処した。そして更に時の首相陶庵公が序文を附したゾラの一訳書が、西園寺内閣の
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