]じみた性質を痛感させた実例がある。
この実例の意義は深刻だと思う。某氏の理性の判断は、ゴジが民主を阻害することを知りぬいている。それだのに何故、その判断と反する政党に隷属して、一応にしろ言論の自由のある今日、心ならずも、と汗を拭きつつその党のゴジ論をやるのだろうか。答えは明瞭である。目先の分別では、今日彼の属するゴジ政党は、その社会主義との盛り合わせで、多数党の一つとなれそうに見えている。代議士になり、政権をとるためには、多数が好都合だから、本当は、民主日本の進路を妨げる反動勢力と知りつつ、それに属し、ゴジ論を流布して、当選を当てこんでいる次第であろう。
憲法というものは、明治の日本でも、自由民権の論とその運動とをつぶして、つい先頃までの、人権なきおそろしい日本の政治の発端をなした。明治の開化期では、ほんとに婦人も男子と等しい学力をもって勉強したのに、憲法発布の後は、政談演説さえ婦人はきいてはいけないこととなって、今日に及んだ。
歴史のより前進した今日の段階の日本で、その民主化には全く国運が賭されている。失われた数百万の人民の生命がその人柱となっているのである。ゴジ政党が、所謂
前へ
次へ
全8ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング