人間がそう云う心持を持って居るとしたら、その心持が戦争を起し、涙一つこぼさずに殺し合うのも亦当然では無いかと若しも云う人があったら、私は、敢然として否定しなければならない。
 そう、人間は確かに祖国の土から、彼等の足を離す事は出来ない。人間である総ての者は彼等の祖国の土を思わずには居られない。
 私は、日本人許りだと云うのではない。英吉利人だけだとは云わない。人間である。万人が万人の人間である。此の地殻の上に何処からか生れ出たものは、その出生の地を、彼等の魂のどん底から剥ぎ取る事は出来ないのである。
 静かな夜の中に坐して、記憶の裡に蘇返る「祖国」に、慄えるような愛着と、叫び度くなる程の嫌厭と恐怖とを感じる時、私は此の感動が、果も無い空間から空間へと、反響するのを感じる。
 私共は「日本人」だから「日本」を思うのでは無い。「米国人」だから、「米国」の土に涙を垂れるのでは無い。人間だからである。人だからである。名は約束である。日本と云うのも、支那と云うのも、又は英吉利と云うのも、丁度、数字が、太古からの約束である如く、只一つの約束に過ぎないのではあるまいか、
 彼等が、そして私共が、
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