、如何程強い根を持った「国語」であることを感じた事が、只の一度でもあるだろうか。
 勿論私は如何程感心したからと云って、自分達の国語が、人類の持ち得る最上のもの――完全無欠で、最も理想的なものだとは思って居ない。
 日本語は、確かに科学的表現の確実さ正確さは欠いて居る。
 自由な新鮮な感情の燃焼を現わすに、日本語は或時に於ては余り形式的である。女性と男性との言葉遣いの差が、余りつけられすぎて居る窮屈さを感じるのは、物を書こうとする女性の総てが時に感じさせられる事であろう、其他数えれば多くの欠点がある。改良されなければならない処は幾多ある。
 けれども。――我友よ、私の真心は、欠点の多いのも、改良されなければならないのも知りながら、尚、けれども、と叫ばずには居られない。
 けれども――そう確かにけれども[#「けれども」に傍点]、私共の言葉の裡には、私共でなければ感得し得ない何物かがあることも事実ではないだろうか、
 そして、又、具体的の説明が出来ない程深く深く底の底まで沈潜して居るその「気分」は、何と云う強靭さで私の背骨を繋ぎ合わせて居る事だろう。
 皮の下に、肉の下に、繋ぎ合わされた骨
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