上げました。女の目は絶えず詩人のかおにそそがれて居ました。
女「有難う」と旅人の手をとってそっと口によせました。かすかに身をふるわせながら、そのやさしい肩を両手で抱きながら、
女「どうしてこんなに美くしいんだろう」と云いました。詩人にはきこえませんでしたけれ共。此の女は始めて若いそうしてしかも美くしい男に会ったんですもの、不思議なほど美くしいと思ったのも無理ではありません。
女「もう疲れていらっしゃるでしょう、早くやすみましょう。私がこもり歌をうたってあげましょう、私の美くしい人」とほほ笑みました。
美くしい旅の詩人は不思議な美くしい女に助けられてこの家に住む事になりました。二人は青草のようなじゅうたんをかるく靴のさきで押えて寝室に入りました。マッシロに美くしいベッドのわきには桃色の絹のおおいのかかったランプがついて四方にはうす紫の帳がたれこめて居りました。美くしい女は旅人をその上にねせて、自分はその頭を手で巻きながらかたわらの椅子に腰をかけて小さい清いほんとうに小川のささやきのような声で子守うたをうたいます。旅人はその胸の方にかおを向けてしずかに夢の国に入ろうとして居ます。桃色のやわらかい色は二人を美くしく包んで暖い空気は春のようにかおって居ます。旅人は安心した様にすやすやとね入りました。女はソーとその手を引きながらもなおその目をはなしませんでした。そして小さい声で、
女「ほんとうに美くしい人、これで私の心がわかるかしら」あこがれるような眼をしてそのかるくむすんだ、やわらかい唇にいかにも乙女らしくキッスしてそして見かえりがちに出て行きました。二人の夢はまどらかにむすばれて森のこま鳥の声と一所に夜があけました。かるい朝食をすまして二人は森に行きました。雪はすっかりやんで美くしい朝日にそれはそれは何とも云われないほど立派にかがやいて居ます。二人はその上をかるく歩みながらよっぽどあるきました。段々雪がまばらになってもうすっかり雪のない所に来ました。二人は青い草の中に足をのばしてこまどりの声をききながら歌をうたうような軽いしめやかな調子で話す女の物語をききました。その物語は、女の小さい時に森の中のくるみのすきなリスからきいたのだそうです。可愛い小さいお話でした。女は詩人の頸を白い手でしっかり巻いてしずかに波うつ胸によせながら何事か頬を赤めながら旅人のかおを見つめて居ます。向うの山の手の一粒に見える所に日が落ちて詩人の黄金の毛は美くしくかがやき女の小指のさきは美くしくすき通って居ます。
女「もうかえりましょう。日も落ちましたワ」と空を見あげてうっとりとした声で云います。
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詩「ほんとうにネお姉さま、貴女のかげと私の影がまっくろになって頭の方は一所になっていますワ。私の心は今、何とも云われない美くしい思いがしています。どうぞも少しこうやっておいて下さいネ」
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女「エエ、エエ、いくらでも。美くしい詩を私にきかせて下さい」と女はその美くしい想をやぶるまいとするようにそっとその手をにぎったまま、向うの山の上の方に目をやって、小さい口を少し開いて居る横顔を尊いマーブルの像でも見るような目をしてみています。旅人の口はかるく開いて夕づゝ[#「づゝ」に「(ママ)」の注記]を讚美のうたはまっかなハートからほとばしり出るようにうたわれました。情のたかまった若い十六にみたない詩人は此の世の人とも思われない女の胸によったまま手で胸を押えて目は上を見ながら美くしい美くしい声でうたって居ます。大きな目には一杯涙をためて頬は紅さしています。女は細い可愛いペンで薄色の紙に書きつけて行きます。はるかに羊の群をよび集める笛の音がかすかにひびいて来ます。少年のうたはいつか休みました。女の手の働もいつかおさまりました。二人は一つのかたまりになったまま身じろぎもしませんでした。詩人の目からは美くしいつゆが流れています。手は胸をおさえたまま。女は
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女「どうなさったの、私の美くしい人。お家が恋しくなったの」
少「イイエそうじゃアないの。私はいつでも夕方になると悲しくなるんですの。ローズと山に行って居てもきっと涙がこぼれるんですの。そう云う時ローズはだまって涙をこぼさせておいてから、あとで私の頭を胸によせて『私の可愛い人もうおなきなさるな』と云って自分の頬で私の顔の涙をぬぐって呉れます。そう云う時私はいつでも又一しきり胸にあたまをおしつけたまま泣くんです。時々ローズも一所に泣いて呉れます。自分もなぜだか分らずローズもなぜだか分らないんですの」胸の手はほどけて下に落ちました。
[#ここで字下げ終わり]
女はだまったまま詩人の手を取って、
女「さあもうすっかり日も落ちま
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