いですよ、ぽつねんと一人では」
お清は、
「他に人がいないわけじゃあるまいし、とんだお役目ね」
と云って笑った。
が、今先へ行く彼女の包みは油井の反物だ。
午後三時のデパアトメントストア。天井に舞い上った風船玉。華やかなパラソル。リズム模様、最新流行モダーン染。
――上へ参ります、上へ参ります。
――美容術をやって見せるんだよ。
――だって二十銭も違うんだもん、そりゃそうだろう。
緑色の仕着せを着た音楽隊はフィガロの婚礼を奏し、飾棚《ショーケース》にロココの女の入黒子で流眄《ながしめ》する。無数の下駄の歯の音が日本的騒音で石の床から硝子の円天井へ反響した。
エスカレータアで投げ上げられた群集は、大抵建物の拱廊から下を覗いた。八階から段段段、資本主義商業の色さまざまな断面図。
――まだここから飛び降りた奴あねえ。
「もっとこちらへいらっしゃい」
音や人目や色彩や、それが余り繁いので、つまり無いと同じ雑踏の中で油井はみのえの手を執り、自分の傍へ引きよせた。油井が大人の男であるのがみのえの満足であった。彼はけちな、直き赭《あか》い顔をする中学生ではない。母親の横顔はつい三四人隔てて見えているのに、実際油井の握って離さないのは自分の手だという歓びが、みのえを恍惚《うっとり》させた。油井は、髭と瞼が西日に照らされるような顔付で、そっと訊いた。
「くたびれたの」
みのえは黙っていいえをした。
――
「さて――これから油井さん貴方どうなさるの」
往来へ出て、みのえは急に空気が軽くなったような心持がした。
「わたし、どうせここまで出たついでだから浜町へ廻って行きたいんだけれど……」
お清は、みのえを見た。
「叔父さんのところへ来るかい」
「いや」
油井が、みのえの方は見ず、
「じゃ、奥さん行ってらっしゃい、私、みのえさんを家まで送って行きますから」
と云った。
「そうですか、じゃそう願おうかしら」
「丁度いい。来ましたよ、築地両国でいいんでしょう」
電車へお清を押し上げ、窓から歩道に向って頭を下げた彼女を乗せたままそれが動き出すと、油井はみのえを連れ、ぶらぶら歩き出した。
「ちょっと日比谷でも散歩して行きましょう、ね」
彼等は公園の池の汀に長い間いた。噴水が風の向のかわるにつれ、かなたに靡《なび》きこなたに動きして美しい眺めであった。低い鉄柵のかな
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