るところがある。
 訳者は熱のこもった態度で仕事している。その面の無気力が反映しているというのではない。それとは別のものである。シチュードリンのこの作品を訳した翻訳者としての見識や積極性は十分評価されるべきであって、なおそのこととは別の印象として訳文にもう一段とたかい精神の響を求める欲求はのこされるのである。
「ゴロヴリョフ家の人々」はトーマス・マンの「ブッテンブローク家の人々」のように系譜的作品であるが、ここにあらわれているシチェードリンの作家的力量は、地主社会の崩壊の姿をその背後によこたわる歴史にまでしっかりその指先をふれて掴み出し、生々しく描き出し、驚くばかりの感銘を与える。シチェードリンが、十九世紀中葉の帝政ロシアの暗い空気に抗して、地方貴族の生活の腐敗をあますところなく描き出すことで、より健全な人間生活への翹望を示していることは、訳者の序文によって明らかだし、作品そのものが何よりも熱く語っている。ロシア文化の歴史に消すことの出来ない生涯をもつチェルヌイシェフスキーなどがシチェードリンの価値をよく知っていたのに、「その前夜」だの「父と子」だのを書いたツルゲーネフが、この作家の奥
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