深い現実への感覚とその文学を理解しなかったのも面白い。半生をパリで暮らしたツルゲーネフには当時のロシアの前進する若い力の表面の動きは外からつかめても、社会の底に湛えられてその支えとなっていたシチェードリンのような作家の価値は見えなかったのだろう。
「ゴロヴリョフ家の人々」は一八七二年にかかれ、トルストイの「アンナ・カレーニナ」の出た前年日本では明治五年、福沢諭吉が「かたわ娘」という物語でおはぐろ[#「おはぐろ」に傍点]をつけたり眉を剃ったりする徳川時代からの女の因習を諷刺した年である。それとこれと、国民が所有する文学発達の層の比較ということも、深く考えられる。

 今日の日本の社会は、おのずから過去七十余年の明治以来の推移に思いをひそめさせ、文学にも系譜的な小説があらわれて来ている。真の系譜がどのように社会的な立体的な把握をされなければならないかということについて「ゴロヴリョフ家の人々」は教える多くのものをもっている。
 訳者の序の引用文に、この作家がその創作を政治的な問題に意識的に服従させ而も芸術的形象の完成を妨げなかったことをかかれているが、今日私たちの置かれている環境の現実はこう
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