翻訳の価値
――「ゴロヴリョフ家の人々」にふれて――
宮本百合子
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)屡々《しばしば》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)おはぐろ[#「おはぐろ」に傍点]をつけたり
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日本の知識人の読書表には、実に翻訳がどっさり入りこんでいると思う。文学書にしても、日本ぐらい月々幾冊もの訳書が出版されているところは余り無かろうと思う。アメリカなどは、どっちかと云えば翻訳書が比較的どっさり出る方だろう。新しくて若いアメリカの文化はヨーロッパの文化の富から吸収するべきものを少からずもっているわけだし、ああいう社会生活の習俗では、イギリスの読書人たちのようにフランス語やドイツ語の知識を不可欠に考えてもいないだろうから、特にフランス文学の翻訳などは相当広汎によまれることが想像される。
ソヴェトもきっと随分どっさりの翻訳書を出版しているだろうと思う。文化の各部門に亙って代表的な古典だの全集だのが翻訳されて、夥しい部数で一般の日常生活の中へもたらされている。ここでは、文盲退治で字がよめるようになった人たちがいきなり最
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