高の古典にふれて行ってトルストイの小説をよむと同時にゾラをもよむという独特旺盛な興味ふかい文化摂取の道を辿っている。
日本に翻訳書が沢山出るということの背景には、やはり日本の特殊な地理的条件につれて社会の特徴が見られるのだと思う。東海の封じられた小島としての条件のなかで、我々の祖先の秀抜な人々が、真理を求め、知識をさがして生命の危険さえ冒しながら粒々刻苦して、偶然渡来した医書や物理書の解読や翻訳に献身した努力と雄々しさとは、前野良沢や杉田玄白が日本で最初の解剖書となったターヘルアナトミアの翻訳に賭した心血の高貴さに語られている。日本の暁として翻訳の仕事は寧ろ悲壮な姿で開始されているのである。
一二年このかた、出版にもインフレ景気ということが云われるようになった。文学書の翻訳も溢れているが、果してそのうちの幾割が、文学的な再現の成功までは言わず、少くとも信頼に足りる仕事なのだろうか。
訳しにくいところはどしどしとばしてしまう。そんな話も屡々《しばしば》きく。文学作品のいのちは、訳しにくいような表現のなかに案外ふくまれているとも云えるのだから、もしそうだとすれば、私たちは読者として
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