ふさわしく、これらの婦人たちは人民の文学としての発言の可能を示しはじめている。けれども、人民生活と文学との苛烈さは、「朝鮮ヤキ」のすぐれた作品を最後として譲原昌子を結核にたおした。新しく書きはじめている婦人たちの文学は、早船ちよをやや例外として、まだその大多数が、小規模の作品に着手しはじめたという段階である。題材と創作方法の点でも、人民生活としてのひろがりをふくみつつ自身の生活によって確められている地点から語りはじめているのが特徴である。
小説というものが、人間、女――人民の女としてこの人生に抱いている意志と情感を語るものとなって来ていることは、この四五年の日本の社会の、すべての矛盾、欺瞞をしのぐ人民の収穫として評価されなければならない。
「海辺の歌」の松田美紀。一九四九年度に作品を示した戸田房子「波のなか」、畔柳二美「夫婦とは」、『四国文学』に「海軍病院の窓」をかいた正木喜代子。広津桃子「窓」、関村つる子「別離」。環境的な重荷をもって出発してる由起しげ子(「本の話」「警視総監の笑い」「厄介な女」その他)、波瀾のうちに、どのような発展をすすめて行くだろう。
幸田露伴という文人の、博
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