「煉瓦女工」から、戦争の時代を通って今日に歩いて来た道は多くのことを考えさせる。彼女は泥まびれになってころがり(「女の罰」)時には泣きながらも、萎縮しなかった率直な生活意欲を保ちつづけた。封建的な要素の多い人情にからまりながら次第にそれらが、日本の社会の歴史的なものであるという本質をつかみ始めて来ている。彼女よりもひと昔まえの一九二〇年代の後半にアナーキズムの渾沌の裡から生れ出た平林たい子が、「施療室にて」から今日までに移って来た足どり。「放浪記」の林芙美子がルンペン・プロレタリアート少女の境地から「晩菊」に到った歩みかた。はげしい歴史の波の一つの面は、平林たい子、林芙美子という婦人作家たちをそのような存在として押しあげた。歴史の波のもう一つの面は、社会の底までうちよせて小池富美子を成長の道におき、印刷工場のベンチの間から、「矢車草」「芽生え」の林米子のために新しい生活と文学の道を照し出した。
「雨靴」石井ふじ子、「乳房」小林ひさえ、「蕗のとう」「あらし」山代巴、「遺族」「別離の賦」「娘の恋」竹本員子、「流れ」宮原栄、「死なない蛸」「朝鮮ヤキ」譲原昌子。その社会的基盤のひろさ、多様さに
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