学であったが封建性を脱げなかった常識的達人の鋳型を、やわらかい女の体と精神にしっかりと鋳りつけられた幸田文の文筆は、あまり特異である。文学にまで及んだ家長制について深く考えさせるものがある。
関村つる子、由起しげ子などの人々は、もう久しくつづけて来た文学の勉強の結果を、こんにち発表しはじめている。それほど久しい間婦人の、人間としての社会的発想は、抑えられつづけて来たのだ。抑えられているなかで、自分の文学の境地をまもりつづけて来た婦人たちの作品は、しかしながら、あまり現代の歴史のいきづきから遠くはなれて、それとしての完成を目ざして来たという印象を与える。由起しげ子のヒューマニズムは、自分で自分のヒューマニティーを劬りつづけて来た生活習慣から、早く強壮に巣立つ必要にせまられている。彼女の、「良識」と評せられる感受性は、現実の中でよごれずにはすまないこと、しかしそれはけがれ[#「けがれ」に傍点]ではないということを会得することが待たれる。関村つる子の真率さは、どのようにそのまゆ[#「まゆ」に傍点]をくいやぶるだろうか。きょうの文学史が二重うつしとなっていて、われわれの成長も二重の可能に立た
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