た大衆小説を意味ないものに感じさせるようになって行った。どんな経済的基礎で生きているのかわからない男女が、男であり女であるという面でだけのもつれに人間的全力を傾けている田村俊子の作品の世界も、いまは遠く思われた。『青鞜』時代は、若い世代の婦人たちにとって、かつてはそのような虹も立ったことがあったという昔話の一つのようにうけとられた。
 プロレタリアートの経済・政治運動が、労働大衆としての男女に共通した理論に立っていると同じに、プロレタリア文学の理論は、婦人作家と男の作家を一つに貫く階級的な文学観であった。小林多喜二が「不在地主」「オルグ」「工場細胞」「地区の人々」「安子」「党生活者」(「転換時代」として一九三三年四・五月『中央公論』に発表された)と歩み進んだ道は、歩はばのちがい、体質と角度の相違こそあれ、何かの意味で窪川稲子その他すべての婦人作家の文学的前進とつながるものであった。
 しかし、日本の社会的現実には、女にとって苦しい二重性があり、自覚した労働者の家庭の中、組合のなかにさえ、男の習慣となっている封建性はつよくのこっている。日本の繊維労働に使役されている婦人労働者たちは、ほと
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