)「別れ」(一九三一)「何を為すべきか」(一九三一)「進路」(一九三三)「押し流さる」(一九三四)と成長して行った。
 日本プロレタリア作家同盟には、窪川稲子のほか松田解子・平林英子、詩人の北山雅子(佐藤さち子)・一田アキ・木村好子・翻訳家松井圭子、一九二七年に「伸子」を完結し、その後ソヴェト同盟へ赴いて一九三一年からプロレタリア文学運動に参加するようになった中條百合子。ロシア文学専攻の湯浅芳子。まだ作品をもってあらわれていなかったが、『戦旗』のかげの力として大きい貢献をしていた壺井栄などがあった。『戦旗』がそうであったように『ナップ』の周囲にも、日本全国の労働者階級の文化・文学的欲求が反映されていて通信・投書などにあらわれる婦人の執筆者は、生産の各部門と、各地方にわたった。一九三一年に、『婦人戦旗』が発展して『働く婦人』が日本プロレタリア文化連盟から発刊された。この編集は、連盟に加っていたプロレタリア演劇・美術・音楽・映画・教育・エスペラント・医療各団体からの編集員によって行われたのであった。『種蒔く人』の執筆者であった山川菊栄・神近市子などは、それぞれの政治的立場から、プロレタリア
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