政治・文化の創造における労働者階級の任務と、その勝利の道があきらかにされ、アナーキズムとコムミュニズムとの区別もはっきりして、一九二八年には雑誌『戦旗』が発刊された。そして蔵原惟人のプロレタリア・リアリズムへの道が、プロレタリア芸術の創作方法の基本的な方向をしめすものとなった。
『戦旗』には徳永直「太陽のない街」小林多喜二「一九二八年三月十五日」中野重治「鉄の話」そのほか、プロレタリア文学の代表的作品がのりはじめた。「キャラメル工場から」という作品で、窪川(佐多)稲子がプロレタリア婦人作家として誕生したのもこのころであった。赤いマントをきて、キャラメル工場へ通う十三歳の少女をかこむ都会の下層小市民の不安定な生活と、幼年労働の現実が、リアリスティックで柔軟な筆致で追究されているこの作品は、当時のプロレタリア文学に一つの新しい、しんみりとした局面をひらいた。つづいて、稲子は、「お目見得」「レストラン・洛陽」などにおいて勤労する少女、女性の生活を描いた。労働者階級の意識のたかまりと組織の成立とともにプロレタリア文学運動が進出するにつれて、彼女の創作は「四・一六の朝」「幹部女工の涙」(一九三〇
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