仮想している。もしそれらの女主人公を現実のひとがわが身の上に模したとすれば、それは、らいてうでもあろうかと思われる人物である。
 漱石はイギリス文学――特にジョージ・メレディスなどの影響によって、男と女の葛藤の核心に自意識を発見しながら、もう一歩をすすめて日本の家庭生活において自我がどうして不自然なしこり[#「しこり」に傍点]となり、非条理な発現をするようになってきているかという分析にまですすまなかった。漱石の生活と文学には、森鴎外の場合とちがった率直さで、封建的なものと、近代的なものとがからまりあってあらわれている。彼はイギリスの文学の中に婦人作家のジョージ・エリオットが評価されていることを認めることはできた。けれども田村俊子などが活動しはじめたについて意見を求められたときの彼の答えは、時代的でありまた性格的であった。漱石は、教育や職業上の技能がだんだん男女ひとしいものになってくるから、女らしいとか女らしくないとかいうことで小説の価値が決定されるものではないという正当な見解を語っている。しかし、それにつづけて次のようにも語っている。「作者と作品とをわけて、どうもこういうはなはだしいこ
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