晩年にある青年を愛して批評がおこったとき、「偉い男がおしゃく[#「おしゃく」に傍点]を可愛がるように、女が男を可愛がるのが何故悪いだろう」という意味をいった。
 俊子とやす子と、二人の言葉は、あまり女に自由のない日本の社会の悲劇を語っている。同時に、資本主義社会の矛盾の中で「恋愛の自由」が畸型的なものにならざるをえない悲劇をも語っている。
 一葉以来、晶子、らいてう、俊子と、これらの婦人たちは、なんと勇敢にとび立とうとしてきただろう。そして、なんと打ち勝ちがたい力で、その翼をおられてきただろう。
 夏目漱石は、婦人に対して辛辣な文学者であった。「吾輩は猫である」の中に女の度しがたい非条理性が戯画的にとりあげられて以来、「明暗」にいたるまで、彼のリアリスティックな作品に登場する現実的な女性は、男にとって不可解な「我」を内心にひそめて、何かというと小細工をもてあそぶ存在としてみられている。ところが、漱石は「虞美人草」「琴のそら音」などのロマンティックな作品では、その時代の現実には見出せなかっただろうと思われるように自意識の強い、教養があることさえ、そのひとをいやみにしているような若い女性を
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