日本の権力が武装解除されたとき(一九四五年)この「君死にたまうこと勿れ」は、新しい感動をもって紹介されよみがえらされた。この作品は、当時の晶子が、侵略戦争の本質については深くふれず、「旧家を誇るあるじにて、親の名をつぐ君なれば、君死に給うことなかれ」という親のなげきの面から、また、「のれんのかげに伏して泣く、あえかに若き新妻」の「この世ひとりの君ならで、ああまた誰にたのむべき、君死にたまうことなかれ」と「家」の感情にたって訴えている。天皇は戦争を命令し、人民は獣の道に死ぬことを名誉としなければならなかった一九三一年からのちの十四年間、かつて「君死にたまうこと勿れ」を歌ったこの女詩人はどのような抗議の歌を歌ったろう。晶子は彼女を歓迎する各地の門人、知友の別荘などにあそんで装飾的な三十一文字をつらねていた。
 自然主義のさかんであった時代に花袋門下として生まれでた婦人作家水野仙子が、その着実な資質によって努力をつづけながら、人道主義文学の擡頭した時期に「神楽坂の半襟」「道」「酔いたる商人」などを書いたことは、意味ふかく観察される。『ホトトギス』の写生文から出発した野上彌生子も、やはりあとの
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