は大変通俗的になったけれども、露伴だとか一流の作家たちも当時は『文芸倶楽部』なんかに書いたわけです。その頃婦人作家が擡頭して大塚楠緒子とかいろいろな人がいて、やはり芸術的な力では一応の作家だったけれども、当時の社会ではまだ文化が低かったから、それでもって食べて行くことはできませんでした。今日古い雑誌を見ますと、当時の婦人作家を集めて『文芸倶楽部』が特輯号を出していますが、そのお礼には何を上げたかというと、簪《かんざし》一本とか、半襟一掛とか帯留一本とかいうお礼の仕方をしています。そんな風に婦人の文学的活動は生活を立てて行く社会的な問題でなく、趣味とか余技のように見られていました。一葉なんかも大変に面白いことは、一方に「たけくらべ」のような作品もありますけれども、日記を読むとなかなか気骨のある婦人でした。御承知の通り大変に困難な日常生活をして、駄菓子屋までやるような生活をしていましたから、歌のお師匠さんの所へ出入りしても半分事務のようなことを手伝って教えて貰っています。そこで貴族的な女の人たちと一緒に歌の会があるときには、一葉は何時も腹の立つような思いをしました。そういう女たちは我儘で得
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