庭の主婦は出られない、若い人か或る特別の人たちしか出られません。本気になって生きるということを考える主婦が演説なんか聴きに行くことができれば、真面目に苦労しているから、真面目に生活や政治をよくするということを考えて話を聴くことができます。ところが家庭の主婦はいま出て来られません。何故ならば配給とか、闇買いとか、生きるために大童になっているからです。もう少し食糧問題を解決し住宅問題を解決すれば、女も男も時間ができます。時間に余裕ができれば本を読むことも考えることもできます。そういう風にして日本が民主化するということは非常に大きいことです。それは私ども一人一人が自分たちの命を十分に値打のあるものとして生きて行く方法が立つという可能性ができるということなのです。どんな人でも自分たちがいいかげんになってすぎるということは望みません。私どもは生きること、それを自分たちのものとして行かねばならない。だから文学というものでも、ここにいらっしゃる以上は身に近いものとしてお考えになっていらっしゃる方でしょうけれども、或る人達が中心になって拵えるものを文学と思っている今までの考え方をやめて、やはり生活とい
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