うものに手を入れて掬い上げたものが文学である、憤慨、笑い、いろいろな感情がある、それが文学だということを周囲の人達にもだんだん拡げていただけば、新しい日本のためにも生活そのものの向上となり、生活の向上ということから起る文学の向上、そういうことになると思います。
 時間がないので尻切れとんぼになりますけれども、私の話としてはそれだけにしますが、今日窪川鶴次郎さんが来て、小林多喜二の話を申上げる予定でしたが病気で来られなくなりました。二月という月は私どもにとって忘れられない月です。小林多喜二という小説家は二月二十日に築地の警察で殴り殺されてしまいました。それですから今日私どもはこういう催をしても小林多喜二を忘れていません。小林多喜二があれだけの作品を書きまして、お読みになっていらっしゃる方が多いと思いますけれども、殺されたその時に、日本のたくさんの文学者はどういう風に申したか、小林多喜二は若し政治活動しなければ――つまり共産党なんかに関係しなければ殺されることはなかったし、自分の才能を全うして最後まで小説を書いておられた、あれを殺したのは共産党だという風にいいました。小林多喜二という立派な
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