いう希望で婦人の才能を押出そうとしました。ところが、その時代はまだ婦人のそういう風な才能を押出すということはその人が社会的に本当に独立していなければ成り立たない、親の脛をかじって気焔を上げても駄目だということが分っていませんでした。そのために平塚さんたちの青鞜社の運動も或る種類の僅かな人、たとえば野上彌生子さんのような人は後には青鞜社から離れたけれどもあの時代に出た人です。青鞜社の全体の方から申しますと、はっきりした社会的基礎をその人達が持っておりませんでしたから、雷鳥さんは年をとってしまって大本教の信者になった。社会の中にはっきり自分を密着させていなかったからです。
今から十何年か前に、世界と一緒に日本の民主的な文学運動――その頃はその時代の或る歴史的な理解からプロレタリア文学といわれたけれども、しかし根本は今日私どもが求めていると同じように、人間は人間らしく生きよう、人間の声は十分出されていいもの、そうして美しいものをつくって行こう、ということを主張した文学運動――がおこりました。その方向は、やはり民主主義的な基礎に立っていますから、婦人も特に男より劣ったものとは考えない。却って
前へ
次へ
全33ページ中18ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング