ささえ加えてよみとれて来る。何故なら、感情の溢れるまま、主観の高まりのまま、そのような歌のしらべで発足した晶子も、やがては、
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男とはおそろしからぬものの名と
      云ひし昨日のわれもなつかし
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と、詠んでいるのであるから。もとよりこの一首のこころは複雑で、男のおそろしさという表現のかげには、女が女の心と体の恋着のおそろしさに深くうたれる思いをよみこまれてはいるのだけれども、それでも、猶このたゆたいは、生活的な日々の現実のなかで男と女とがかかわりあってゆく間の、女の身からの感懐が語られているのである。
 文学の形式として、その色彩やリズムとして濃彩なロマンティシズムがうけいれられながら、晶子の歌には当時の現実の中に生き、現実の良人と妻とのいきさつに生きる女として、五色の雲に舞いのぼったきりではいられない様々の感想、自己陶酔に終れない女の切実な気持などの底流をなすものがどっさりある。
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花に見ませ王のごとくもたゞなかに
      男《を》は女《め》をつつむうるはしき蕊

あはれなる胸よ十とせの中十日
      
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