がしきりに論じていた庶民の生活条件改善問題を必然とした、その生活事情をロマンティシズムの背景にもたなければならなくなって来ている。しかも自分がおかれている庶民的な事情を歴史的に把握する力をもたないために、歌集『天地玄黄』のような時流に流されかたも示している鉄幹のロマンティシズムの分裂は、樗牛の晩年のニイチェ礼讚とともに、極めて意味ふかく明治の知識人の精神の動揺の一つの姿を見せているのである。
創作の原則で新詩社と常に対立していた正岡子規は「真摯質樸一点の俗気を帯びざる」芸術境を目ざすことで、国木田独歩は、少くとも「嘘を書かぬこと」という創作に対する「唯一つ」の意思をもっていて、その点では各々主観的な我を確保した。
鉄幹は、自身のロマンティシズムについて、真実追求に関するそういう問いかけを試みてもいないし、煩わされてもいなかった。偽はまことか、まことはうそかと、誇張をも顧慮せず燃え立つなりに自我を燃え立たそうと意欲し、その主情的な主張において、分裂矛盾のままに自身のロマンティシズムを立てていたのだと考えられる。
この自然発生的で又現世的匂いのきつい鉄幹のロマンティシズムが、泉州堺の
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