からちりこぼれた時代的な変種の二番咲きとして一方に高山樗牛、与謝野寛などのような当時の権力と方向を合わせた政策的文学批評や慷慨の意気の代表者を生むとともに、他の一方には、そのような俗情に立つ合目的性の文学に反抗するロマンティック思想と、擡頭しつつある自然主義の傾向とのわかちがたく綯《な》い合わされた独自の存在として国木田独歩を生んだのであるが、新詩社のロマンティシズムが、日本の近代文学の成長に寄与した何ものかがあるとすれば、それは鉄幹が意識してふりかざしながら詩壇に登場した日本帝国の支配者たちの口ぶりに合わせた政策的高吟の詩の幾篇かではなくて、
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ひときれの堅きもちひをあかがりの
手にとりもちて歌をしぞ思ふ
皮ころも虎斑のなかにうづまりて
いねて笛ふくましろなる人
乞食等の著すてし野辺の朽ちむしろ
くちめよりさへさくすみれかな
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などという歌にこめられた一味新鮮な近代の生活感覚であったことは、特に注目をひく点であると思われる。一方で『天地玄黄』のような歌を出している鉄幹は、自身のうちからおのずとほとば
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