に対するそういう実際的な不信頼懐疑をも、一葉はむき出しな人生論として皆とは話さず、その時代らしく仏教的に行方定めぬ人の姿として自分の感情の中にもっていただろうし、その期待するところのすくないような一葉の友情の態度は、『文学界』の人たちの情緒に、一種端倪すべからざる複雑さで映り、なお友情のニュアンスをふかめることともなったにちがいない。
 一葉と『文学界』の潮流との交渉はこのように、文芸思潮の表面からは論じがたく、しかも、一葉の芸術の感情的なゆたかさ、高まりのための刺戟としては、血肉のつながりをもって進んだ。
 二十八年七月の「にごりえ」は、このような周囲の雰囲気の中から生れた。当時も大変好評で、『文学界』の人たちはこころもちのよい無私のよろこびを示している。一葉は「此世にはこの世をうつす筆」というはっきりした自覚に立って、自分の住居の隣りにある銘酒屋の女たちの生活や身辺の実際の人の身の上などから、この一篇を書いた。庶民の日暮しの目撃に立ってかいている。この一篇も注目すべき作品ではあるけれど、源七がお力を殺して死ぬのが結末となっている全体の結構はやっぱりまだ「やみ夜」などの系列に属してい
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