と想像される。
 しかし、そのつき合いに対しても、一葉は一面に男の人たちはよろずにおおらかで、話し甲斐もありと見ゆれど「それもさるものにて、いさゝかやましきことそはぬにしもあらず」という気持をもっている。このひとたちは、今はこうやって、無識無学の女一人の自分に議論の仲裁などをもさせ、将来どんな境遇になっても友情に変りはないと云っているけれども「親密々々こはこれ何のことの葉ぞや」「偽《いつはり》のなき世《よ》也《なり》せばいか斗《ばかり》この人々の言の葉うれしからん」という感情も一葉にあった。そして「かりそめの友といふ名に遊ぶ身なり。このかるやかなる誓さへ末全からんや」と人のつき合いのはかなさを歎いている。一葉は大音寺前をひき上げて来るとき一つの心の飛躍をしていて、その飛躍の性質はやがて彼女に「うら紫」のお律の人生態度を描かせたものと通じている。「花ごもり」のお近が一葉の処世の全部の気持であり得なかったと同時に、純真な青年たちの感激の言葉に対しても同じ年ごろの女性らしい全心の傾倒は示さないで、偽のない世ならこういう言葉もどんなにうれしく聞けるだろうという不信を抱かせている。
 人生や友情
前へ 次へ
全369ページ中67ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング