て、裏長屋の描写の細部も精密ではあるが一般的である。広津柳浪は既に「残菊」などで心理描写だけの小説を試みているけれども、一葉は、お力の心の浮沈を辿ったその執拗さで源七の心理を追究しようとは試みていない。よしんば源七はあり来りの型どおりの心の動きにあっても、お力が得心ずくで死んだのか、あたりまえの怨の刃で命をおとしたのか、そこが、「にごりえ」のテーマの頂点であろうが、そこを近所の人々のとり沙汰でだけ語らして、作者はそのかげに入ってぼやかして、人魂ばかりに長き恨みをかこつけていることにも関心をひかれる。第五節の終りの、お力が苦しい切ない乱れ心地で夜店の出た賑やかな町を歩いてゆくところの描写は、痛切で生々しく、今日でも実感に訴える感覚のとらえかたとして圧巻である。
「たけくらべ」は、はじめ『文学界』に連載されたものだが、のち、二十九年四月『文芸倶楽部』にまとめて発表されて、遂に一葉の名を不朽にする作品となった。
 十ヵ月ほど一文菓子をやって暮した大音寺前の生活は、初めてそういう土地に住んだ一葉の観察眼に、実にくっきりとその朝夕の特殊な気風をうつして見せたにちがいなく、「たけくらべ」の女主人公
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