ず。」「一人の敵とさしちがへたらんは一軍にいか計《ばかり》のこうかはあらん。一を以て十にあたる事はいまだし。万人の敵にあたるはかの孫呉の兵法にあらずや。奇正此内にあり、変化運用の妙天地をつゝんでしかも天地ののりをはなれず、これをしるものは偉大の人傑となり、これをうしなふものは名もなき狂者となる」
 誰の目にも明らかなこの常識論が、特に一葉の場合関心をひくのは、お近によって、もっとむき出しに云われていた同じ常識論に対して作者は与之助をずるずる敗けさせたまま「花ごもり」を終った、そのつづきを、今は、自身にうけいれているからである。しかも、一葉は、そういう常識に結局はおさまる我が心というものに対して、ちっとも観察批判を働かせていない。芸術家の生きてゆく問題の本質は、そういう常識を孫呉の兵法云々で表白することにはなくて、そう表現して自分に肯定させてゆこうとしている我が心の、もう一皮奥の心の在りようとでも云うべきものへの追究にこそ、かかっている筈ではなかろうか。
 年齢の若さではない一葉の本質の或る一つのものがここに潜んでいる。この本質的なものと、時代の慷慨的なものとが微妙に結びついて、その年の
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