となって、一葉は悟りに入ったように解釈されて来ているのだが、一葉が、再び文学のことに携る決心をかためるに到った心の足どりの複雑さは、天稟うけ得た一種の福があると久佐賀に暗示されただけが動機ではなかったろう。
 天啓顕真術へ行って来た翌々日、女学雑誌で、三宅龍子、鳥尾ひろ子がならんで歌塾をひらくという記事をよんで「万感むねにせまりて、今宵はねぶること難し」とあるが、その万感は、ただくやしいばかりのものではなかったろう。考えがめぐってめぐって火のもえるようであったのだろうと思う。
 その燃える焔が、日記のなかで有名になっている花圃への罵倒となって迸り、同門の田中という女に、同じけがれとしても万人のすてた此人にせめては歌道にすすむはげましだけはと気負って表現されたりしているのだと思える。
 頭の中を火がかけまわるようなその状態が次第に沈静して来たとき一葉はこう考えるようになって来た。「こゝろは天地の誠を抱きて、身は一代の狂人になりも終らば、人に益なくうきよに功なく、清濁いづれをまされりとせんや。」「されば人世に事を行はんもの、かぎりなき空《くう》をつゝんで限りある実《じつ》をつとめざるべから
前へ 次へ
全369ページ中57ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング