には居り難い。
 萩の舎の代表する社会層の空気に反撥を感じつづけて来ている一葉は、そこにある富貴と同じ内容の他の極として自分の貧を対比して、そのどんづまりで一躍、生ぬるい富貴栄誉に水をあびせるような飛躍を希いはじめたのであった。一葉は「うき世にすてものゝ一身を何処《いづこ》の流れにか投げ込むべき、学あり力あり金力ある人によりておもしろくをかしくさわやかにいさましく世のあら波をこぎ渡らん」とて、久佐賀の許を訪ねた。運を一時のあやふきにかけ、相場といふことを為して見ばやと相談した。
 日清戦争がまさにはじまろうとしていた二十七年の二月、北村透谷がそのロマンティシズムの窮局に見た絶望によって自殺する三月まえ、堺枯川が小説などかきはじめていたこの時代の日本の、より近代資本化への社会的混乱のなかで、二十三歳の一葉が、おもしろくさわやかに世を渡らんと相場を考えたというのは、決して只糊口のしのぎのためでなかったことは、種々の点から理解される。
 天啓顕真術がまやかしものであったこと、久佐賀が面白い女とみて、妾のようにしようとしたこと、それに対して一葉が味のよい啖呵をきったことなどがあって、それが転機
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