を多数《おほく》にとりて晴れの場所にて為すぞよき。」そういう人生観に立って、お近は大学出の伜与之助と金持田原の娘との結婚話をすすめてゆく。
「わが為の道具につかひて、これを足代《あじろ》にとすれば何の恥しきことか、却つて心をかしかるべし」そして、「思召はきれいなりしが、人をも世をも一包みにする量なければ小さき節につながれて」「小さき結構人」で終った亡夫を罵っている。
 更に目をひかれることは、このようなお近が末は一緒と思っていたお新を遠ざける方策をたてたりしていることに対して、与之助は優柔不断で、われながら解しがたき心のいず方に向いてすすむらんという状態のうちに、周囲ではどしどしことを運び、一番弱いお新が思いあきらめて、恋しいときはお姿を描けるように、と田舎住居の絵師の召使いとなって去ってゆくのである。
 お近にこめている一葉の筆の力、それに対して与之助がたたかう力をもたない人物として現れている作者の内面的な機微、これらのことを、丁度一葉がこの作品をかいている最中に本郷の天啓顕真術師久佐賀義孝という男のところへ身のふりかたを相談しに行ったことと思い合せると、今日の読者として或る感想なし
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