文学界にのったこの「花ごもり」は、一葉の小説としてはじめて性格らしい性格をもったお近という五十女が描き出されているばかりでなく、余蘊なくリアルにうつされているそのお近の世道観、処世哲学というものは、よくもわるくも浮世はこうしたものという腰の据えかたに徹したものである。お近のモラルはこうかかれている。「親子夫婦むつまじきを人間上乗の楽しみといふは、外に求むることなく我に足りたる人の言の葉ぞかし。心は彼の岸をと願ひて中流に棹さす舟の、よる辺なくして波にたゞよふ苦しさはいかばかりぞ。」「今の心いさゝかは屑《いさぎ》よからずとも、小を捨てゝ大につくは恥とすべきにも非ず。」「陋劣《さも》しきことゝ誹るは誹る者の心浅きにて、男一疋なにほどの疵かはつかん。草がくれ拳を握る意久地なさよりも、ふむべき為のかけはしに便りて、をゝしく、たけく、栄ある働を浮世の舞台にあらはすこそ面白けれ。」「望は高くせよ、願ひは大きくせよ。」「卯の毛の先きの疵もつかで五十年の生涯を送りたりとて、何事のをかしさあるべき。一人に知らるべきことは百人に、百人に知らるべきことは万人の目の前に顕はして、不出来も失敗も功名も手柄も、対手
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