三者の心でみれば、桃水と一葉とのいきさつが心理の微妙な雰囲気でとどめられたものであったからこそ、断たれてのち猶その気持に一葉が深くもたれかかって行ったこともわかる。世間の口さがない批評を蒙る現実の対象が抹殺されてから、却って自分ひとりの心の動きに安心して、勝気で悧溌な一葉が綿々とつきぬ思いを対象のそとへまでも溢れさせて、恋の歌や日記の述懐に表現し、情感に身をうちかけているところも、あわれである。又、いかにも小説でもかこうという若い女性の心情の粘りづよさがあらわれてもいる。
小説のことで紹介された桃水との一年ばかりの交際は、このようにして一葉の女としての生涯の心理に計らぬ局面をうちひらいたのであったが、小説の方でも、桃水の紹介で、明治二十五年三月「闇桜」がはじめて『武蔵野』という同人雑誌にのった。つづいて四月に「たま襷」七月「五月雨」を同じ雑誌に発表している。「闇桜」「たま襷」「五月雨」などは一生懸命にかかれてはいるが、和文脈の文章に格別の力もないし、物語の筋も当時の所謂小説らしい趣向の域を出ていない。
一作二作と活字にはなっても反響がないので、一葉は深い不安と失望とで、自分にもし才
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